はじめまして。BP GLOBAL代表の城元です。20年近く鈑金塗装や車の修理に関わっています。今までクルマの修理をしてきた台数は累計でのべ5千台以上。見積りや相談件数だけでも1万台を超える鈑金修理に関わってきました。
本格的に輸入車の鈑金修理に関わるようになったのは、ガソリンスタンド会社の社員として、鈑金修理を行うようになってからです。BP GLOBALを創業してからは、大手輸入車ディーラーや輸入車中古販売店さんから頼まれ、自動車販売店の黒子としてたくさんの輸入車の鈑金修理をしてきました。最近では個人のお客さまからの修理相談も増えてきています。
個人のお客さんからの修理相談で一番多いのは「ディーラーの見積り額が高するのですが、どうにかなりませんか?」という相談です。輸入車オーナーの多くは、輸入車修理の維持費はある程度かかるものと分かって購入しています。しかしそれは車検代や税金の話で、クルマをぶつけた修理費用は想定外という方がほとんどです。
たとえば、メルセデス・ベンツCクラスのドアを凹ませてしまった場合、何も知らずにディーラーに持ち込めば、ドアは純正品の新品交換の見積りとなり、50万円の修理額が確定してしまいます。でもちょっと待ってください。ディーラーで交換と言われた50万円の修理の多くが、鈑金修理で直す事ができるかもしれないのです。修理内容をよく検討したり、使用する部品を考えることで、同じ修理でも大きく金額を下げることが可能になります。
あなたは、クルマの修理をする際、どんな工場を選びますか?
とにかく安く、激安で修理出来る鈑金工場ですか?それとも金額は高いが、完璧に直ると言われている鈑金修理工場に頼みますか?それとも、アットホームな雰囲気の鈑金工場が良いでしょうか。
私たち「BP GLOBAL」が考える、輸入車ユーザーに選ばれる工場とは、鈑金技術・修理知識・鈑金職人としての人間性、これらすべてを兼ね備えた上で親身になって相談にのってくれる、そんな修理工場です。「BP GLOBAL」では、修理の品質・修理価格、修理時間、これらのトータルバランスが重要と考えています。
創業時から変わらない想い思いがあります。「技術で人に感動を」私たちはあなたのための車のドクターでありたいと思っています。最近は親身になって愛車の修理相談にのってくれる工場が少なくなったと感じています。私たちは、親身になってあなたの車に関する相談を伺うことをお約束します。あなたの求める修理レベルや、ご予算などしっかりと伺ったうえで、あなたが納得のいく最適な修理方法をご提案します。修理内容に関わらず、修理の日数、預かりや納車のタイミング、支払い方法、代車などなど様々なご要望お答え出来るようにしています。
私たちは、創業してから妻と二人三脚で良いときも辛いときも共に切磋琢磨しながら歩んできました。たくさんのお客さまや取引先のみなさまにご協力頂きながらここまでやってくることができました。車のことで困った事があれば「BP GLOBAL」にご相談下さい。きっと「相談して良かった!」と、言っていただけると確信しています。
チーフペインターとして輸入車専門の塗装を担当しています麻乃です。
鈑金塗装は「男くさい仕事」と言われる通り、3Kの要素が満載の職業だと思います。「くさい」「きたない」「くるしい」です。マスクをしていても塗装の臭いはきついこともありますし、塗装粉やパテ粉だらけですぐに汚れてしまいます。求められるレベルも高く、完璧な仕上がりを目指しても思うようにいかない日もあります。
そんな「3K仕事」ですが、私はこの仕事に誇りを持っています。なぜならそんな3K職場ですが、私達の努力次第で「きれい」「感動した」「こんなにして頂いて申し訳ない」と、良い意味の3Kに変え、本当にお客様に喜んで頂けるからです。
私はたぶん、これを読んでくれているあなたよりもクルマが大好きです。いや、好きすぎてクレイジーと言われます。間違いなく主人よりも車が好きなのです。クルマに関するウンチクは得意ではありませんが、大好きなクルマを運転する時間がなによりの癒しですし、好きな音楽を流しながら城元に内緒でドライブに出かけたり、お腹を空かせた二人の子供の待つ自宅へ帰ったり、愛車でドライブするのが最高のストレス解消法だったりします。一人になれるドライブの間は、唯一の貴重なワタシ時間なのです♡
多くの輸入車オーナーは、鈑金塗装工場ではなく、ディーラーや購入した輸入車販売店に修理依頼をするのではないでしょうか。しかし実際には、そこで鈑金修理は行なわれず、下請け工場で修理が行われます。そのため、あなたの想う気持ちが伝わらず、思っていたように修理がなされなかったり、修理の仕上がりに納得いかないけど我慢していたりと、鈑金修理のトラブルが発生してしまうのです。
私たちは、鈑金修理を専門としている修理工場です。実際に作業する私たちが、直接あなたの修理の悩みを聞くことで、コミュニケーション不足によるトラブルを回避出来ると考えております。
色々なご質問やご要望をお話しください。しっかり伺った上で一緒に考えて、ご満足して頂ける修理方法を提案させて頂きます。クルマは詳しくないから全て任せたいと言われるお客様も多いです。それでも大丈夫!リーズナブルかつ美しくなる修理の方法を一緒に考えましょう。
私達BP GLOBALは、修理完了後に笑顔でお帰りになるお客さまの多い工場です。
まだまだ道半ばですが「技術」と「ハート」を持ち合わせた女職人として精進して参りますので、何卒宜しくお願いいたします。
いまでこそ、国内トップの輸入車ディーラーや高級車の鈑金塗装修理依頼を頂く工場となりましたが、創業からここまでの実績を積み上げるためには、多くの犠牲も払いました。お客様や僕を支えてくれる家族のためにも、ここに創業からの物語を記したいと思います。
僕は、1978年に東京都に生まれました。
夫婦喧嘩の絶えない家庭で、両親は僕が5才のときに離婚しました。そして父は再婚、新しい母がやってきました。父と再婚した新しい母とその子供と、新しい家族との生活がはじまりました。しかしまた絶えない夫婦喧嘩。そして2度目の離婚を経験しました。僕じゃありません。父です。
そんな家庭環境で育ちましたので、いつも孤独でした。人と関わり合うのが怖く、いつも悶々と悩みながら生きていて、時に生きるのが辛くなり、笑うことができない少年だったのです。信じられないかもしれませんが、うまく笑う事ができない少年だったのです。
それでもなんとか学業だけはこなし高校生になったころ、最初の人生の転機が訪れました。きっかけは高校時代に始めたガソリンスタンドのアルバイトでした。今考えると、ろくに人と関わりが持てない人間がなぜ接客業を選んだのか不思議です・・。 最初はお客さんの目を見て話すことすらできませんでした。僕がいつものように仏頂面で接客をしていると、マネージャーが話しかけてくれました。「城元くん、まず君が笑顔じゃなければお客さんを笑顔になんかできないよ」と。
そのサービスマネージャーには、仕事に対する心構えや、表情、挨拶、礼儀、立ち振舞い、お客さんの気持ちになって考える事など、何も知らない僕に多くの事を教えてくれました。今では恩師と慕うマネージャーから、人間としての基礎や礼儀を教えてもらったのです。
マネージャーを恩師と慕い、3年間真面目にアルバイトをしていると、社員に引き上げてくれました。こうして僕は、都内で大手と呼ばれる石油会社の社員となりました。
会社では、整備の勉強を行い、自動車整備士の国家資格を取りました。洗車やボディーコーティング、カービューティーのノウハウ、オイル交換やバッテリーやタイヤ交換、車検整備など、多くの自動車整備を行いました。規模の大きい整備工場だったので、ディーラー並みの入庫台数があり、数えきれないほどのクルマのメンテナンスを行っていました。
そんなときに、川崎市中原区武蔵小杉の営業所で、新たに自動車鈑金修理工場を設立する事業案が役員会で起案され、その責任者に抜擢されたのでした。
「マネージャーに認められたい」
そんな一新でひたむきに整備を行ってきたことが認められたのです。
そして、新しく鈑金工場を建築する間、横浜都筑の研修所で鈑金研修が始まりました。
当時鈑金塗装のイロハを教わった鈑金講師と塗装講師には、20年近く経った今でもお世話になっていますが、何しろこの2人は鈑金塗装業界でもトップクラスの技術を持った人たちで、いきなり最高峰の技術を見せられてしまった僕は、自分の鈑金塗装の技術力が足りないことは明白で、正直打ちのめされました。そんな鈑金塗装の知識が何もない僕に、講師たちは丁寧に大事なことを教えてくれたのです。
クルマの鈑金塗装修理というものは、本来3役で成り立つものです。3役とは「鈑金」「塗装」「見積もり接客」です。「鈑金」という仕事は、寸法や面を合わせる根気と忍耐強さが必要です。「塗装」はとにかく丁寧さを要します。そして「見積もり接客」は、事故などの的確な状況判断と正確な見積り、保険会社との交渉力やお客との接客応対スキルなどが必要です。最初からそれを一人でこなさなければならない難しさ。そんなテクニックやノウハウを新店オープンまでに覚えなければなりません。毎日深夜まで、地獄のような指導が始まったのです。
ドアを叩いて直し、鉄板が平らになっているかどうかを確かめるためには、手のひらの感覚が頼りです。これがわかるようになるためには、毎日やっても3年かかると言われます。塗装は、近い色までは教科書通りに行うことで再現できますが、隣のドアと同じ色に調色するためには、長い経験が必要です。
しかし僕には、自分が作った色に何を足せば隣のドアの色と同じになるのか、全くわからないのです。理由はカンタンです。経験が足りないのです。何度も何度も繰り返すしかないのです。塗料もたくさん無駄にしました。
鈑金塗装は、今まで行ってきた自動車整備とは違いました。適当にやれば、それなりのクオリティにしかなりません。しかし丁寧に真剣にやれば、クオリティも上がりました。丁寧に真剣やるということは、手間も時間もかかるということなのです。
これから鈑金修理をどこかに頼むあなたに、知っておいて欲しいことがあります。鈑金修理のクオリティとは、突き詰めれば、作業する人の「人となり」を見ることでわかります。作業する人となりを見ることで、鈑金修理の仕上がりが見えてきます。
もしあなたが、安心確実な鈑金修理を望むのであれば、作業する職人を見てください。技術力があるかないかはわからなくても、人となりならわかるはずです。その人がどんな仕事をするかは、人となりを見ればわかるのです。
いま思い出しても辛いことも言われました。「ガソリンスタンドでの鈑金塗装が成功するわけない」という夢のない声や、近くの鈑金工場の人にも「ガソリンスタンドが鈑金修理なんて始めたら俺たちは死活問題だよ!」など。
今でこそガソリンスタンドで鈑金修理ができるところが増えましたが、当時はガソリンスタンドで鈑金事業を行っている会社は無く、日本全国でも1〜2社あるかないかの黎明期でした。ガソリンスタンドが鈑金事業で成功するかどうかは、僕たち次第だったのです。会社の新事業を任された重圧。2年目にはストレスで体調も崩しました。重すぎるプレッシャーでしたが「神様は乗り越えられる人にしか試練を与えない」と、強烈なプレッシャーを感じながらもこの言葉を胸に頑張ったのです。
今でも僕のもとには、スタンドを経営する会社から鈑金事業立ち上げのアドバイスの話が持ち込まれますが、とにかく、できるだけ時間をかけて事業を育てるようアドバイスしています・・
当時は、六本木を含む関東22か所にガソリンスタンドがありましたが、六本木営業所の所長から「ロールスロイスの鈑金塗装出来る?」と修理依頼がありました。ガソリンスタンドとはいえ、六本木という場所柄、超高級車の修理依頼が入るガソリンスタンドがあったのです。
チャレンジ精神旺盛な僕は、訳もわからず出来ますと言いましたが、相手はロールスロイスです。東京でもそう受け入れる鈑金工場はありません。その辺の鈑金工場ではできないシロモノでした。
六本木のガソリンスタンドでロールスロイスのお客さんと待ち合わせをすることになり、行ってみると・・1980年代のロールスロイスコーニッシュオープンタイプ。ソリッドの深めのグリーンのボディにサイドはフロントフェンダーからリアクォーターまで伸びたゴールドの細目の一本ラインが入っていました。その1本ラインは、本家ロールスロイス社の製造ラインの職人の中でもたった一人しか書くことが許されていないという、ゴールドラインが入っているロールスロイスです。
ロールスロイスのオーナーは「加藤さん」とおっしゃる、黄色と黒のボーダーTシャツに緑のカーゴのショートパンツ、靴はスニーカー、腰のベルトから財布にチェーンを垂らしたとてもハイセンスなおじさまでした。
ロールスロイスのキズは、左のドアからリアのクォーターパネルに掛けて1m50cm位の線キズと凹みがありました。位置は噂のラインのすぐ下です。凹みを直すにあたってそのラインを避けては直せないため、ラインは最終的に書き直す必要がありました。
こちらが心配そうな表情を浮かべれば、お客さんは不安になります。自身の成長も含めてチャレンジすることにしたのです。
お客さまは「じゃ、お願いしますね。」と、一言おっしゃり、お帰りになられました。六本木スタンドのマネージャーに「あの方は芸能界の方ですか?」と聞くと、「超有名音楽プロデューサーの加藤和彦さんだよ。」と教えられました。
新車価格は4千万円、30年経っても中古車市場で1千万を超える価値が付く車です。そんな超有名人の愛車を修理することになったプレッシャーと「絶対やってやる。運命的な出会いだ。僕がやるべき仕事なのだ。」という想いと、葛藤のなかで修理を始めました。
ロールスロイスの鈑金修理を行なったことのある鈑金塗装職人もそういないと思いますが、ロールスロイス社で1人しか描けないゴールドラインを再ペイントする機会に恵まれた鈑金塗装職人も珍しいことでしょう。
なんとかロールスロイス鈑金修理を終わらせ、時間をかけて調色した深いグリーンの塗装も完了です。そして残すはゴールドラインです。流石に筆では描けないので、マスキングテープでラインを造り、そこにスプレーガンでゴールドを塗装しました。ラインの風合いやタッチは、ロールスロイス社の認定マイスターのクオリティとは言えないかもしれませんが、緊張のなか手を震わせながら塗装したそのラインは、加藤さんにも喜んでもらえたのです。
高級車が行き来する六本木の一角のガソリンスタンドで僕はホッと胸を撫で下ろした事を、今でも昨日の様に覚えています。これが記念すべき芸能関係者の車に関わった1台目でした。
さらに加藤さんはロールスロイスともう1台グリーンに近いブルーメタリックのジャガーXKタイプも所有していらっしゃいました。ロールスロイスの修理中に、ジャガーを運転されていらっしゃったのですが、久しぶりだったのか前のバンパーをこすってしまったのです。なんと、ロールスロイスを納車して、その帰りに今度は加藤さんのジャガーを運転して帰ることになったのです。当時の僕にはなんとも贅沢なドライブです。ジャガーの修理は小さなキズだったので、時間もかからずしっかり仕上げ、納車させて頂きました。
残念ながら、加藤さんにはもう直接お会いすることはできませんが、加藤さんの信頼を得てから、多くの芸能関係者の修理依頼を頂くことになりました。現役の方もおられるので、お名前を書くことはできませんが「加藤さんのロールスロイスを直した男」として認められ、多くの芸能関係者のクルマの板金修理を任されたことは、私にとっての誇りでもあります。いまは六本木のガソリンスタンドは無くなり、芸能関係者のクルマを手掛けることは少なくなりましたが、あの時のような緊張感を忘れずに、BP GLOBALのお客さまの愛車修理に邁進しています。
ガソリンスタンドの鈑金事業の立ち上げを成功させ、多くの鈑金修理をこなして腕を磨いた僕は、念願の独立を果たすことになります。川崎に輸入車専門の鈑金工場「BPGLOBAL」を創業、開業は以前の取引先や顧客から鈑金修理依頼を頂き、仕事も順調に入っていました。仕事は順調でしたが、そのぶん家族とのコミュニケーションを図る時間が作れなくなったのです。
BP GLOBALの創業当初、息子は2才で娘は1才、可愛い盛りでしたが手も掛かる年頃です。朝は2駅離れた保育園まで僕が送ってから出勤し、妻は別の車で後から出勤。そして日中は2人ともお昼ご飯も食べずに鈑金修理をこなし、夕方には妻が保育園に子供を迎えにいく生活を続けました。自宅から工場まで往復3時間もかかるため、時間もかかり交通費も嵩みました。そして何より、夫婦の会話が無くなりました。
子供が熱を出せば、仕事を中断して保育園へ戻り、病院に連れて行ってから、夕方近くに工場へ戻って事務所に子供を寝かせて仕事をしたりと、独立後は夫婦2人で何とかBPGLOBALを運営してきましたが、妻から「こんな仕事いつまでも続けられない」「本当に辞めさせて欲しい」と毎日言われ続けることになりました。
最初の3年間は妻に給料を払うことすらできませんでした。給料もロクに払えないくせに、厳しい口調で技術を教えてばかりで、余裕もなくなり必死でした。仕事のことで妻とも口論が絶えなくなり、妻は度々途中で家に帰って行ったのです。
今考えると、無理もありませんが、当時の僕にはそれが理解できませんでした。家事も育児も仕事もフルパワーでやっていた妻に、心ない感謝の足りない言葉ばかりで追い込んでいたのです。妻は思ったことはすぐ口にするタイプなので喧嘩が絶えず、会社でも家でも口論ばかりするようになりました。
しかしそんな妻も、どんなに大喧嘩をしても、ご飯は必ず作ってくれました。僕も必ず家に帰りました。僕が当時お客さんや取引先に良く言っていた言葉があります。「1年365日喧嘩してますよ(笑)」
独立から4年ほど状況は変わりませんでしたが、車が大好き、いや・・車クレイジーな妻に、お給料の代わりにと車の購入を申し出たのです。年に1回しか友達とランチに出かけることしかしない妻の唯一の楽しみが、通勤中のドライブでした。仕事を全力で支えてくれる女性が世界中探しても他にいるだろうか?そんな妻の努力に報いるため、妻の欲しいクルマを買ってあげることにしたのです。
独立当初は忙しさにあまりすれ違いになり、喧嘩もありましたが、一緒に苦楽を共にしてくれた妻が一番喜ぶプレゼントができたことは、僕にとっても本当に嬉しい事でした。大好きなクルマの事を話すのがとても楽しいようで、それからは夫婦の会話も増えました。「妻にクルマ買って良かった!」
仕事中の会話もテンポよく進み、そのせいか今までの倍の仕事量を2人でこなせるようにもなりました。この頃から、2人の仕事のスピードも上がり、より多くの修理ができるようになりました。
妻の愛車は「アウディTT」コンパクトでスポーティー、車重は軽いが抜群の安定感で加速も最高でとてもいい車です。そんな愛車をとっても大切にしている妻は、僕が出会ったクルマ好きの中でもダントツナンバーワンにキレイ好きなのです。
まず、車に乗り込むのも気を使います。「ステップに足を置いてはいけない」「ダッシュパネルをむやみに触らない」「シートも動かしてはいけない」「エアコン操作を勝手にしない」などのルールがあり、同乗するのは本当に緊張します。万が一、助手席でくしゃみなどしようものなら、クルマから降ろされるのです。そのうち「息をしないで」と言わる日が来ないか今からビクビクしているのです(泣)
そんな、神経質クルマを大切にしている妻は、その才能を遺憾なく発揮して、今では優秀な塗装職人として、僕の右腕として働いてくれています。業者さんやお客さんからの評判もとても良く、しっかりと僕の技術を盗んでいて、そしてそれをさらにアレンジし自分のモノにしています。
とにかく塗装の技術を教えるのにも気を使います。何かと逆ギレされるのです。教える側が怒られる師弟関係など見た事もありません。女塗装職人として一人前になるのは、それくらい気が強くないと成り立たない仕事だっていうことだと思うのです。
そんな妻は、今では塗装どころか鈑金作業や部品の脱着など、鈑金塗装業のありとあらゆる作業にまで手を出すようなりました。いつか工場を乗っとる気なのかもしれません。
こどもの頃から孤独と戦い苦しみ、たった一人で任された鈑金事業を成長させ、たった一人で戦ってきた僕に、妻という相棒と仲間が出来たことだけで、本当に幸せなのです。いや・・奇跡なのかもしれません。
「師匠は追い越してこそ」なんとなく技術はそういうものと考えてきました。もしかすると、僕の技術は、弟子であり、相棒であり、そして妻でもあるこの人に抜かれてしまうのかもしれませんが、彼女の次なる才能の開花が楽しみでなりません。
BP GLOBALももうすぐ10年を迎えます。全くもって、好調でも順調でも楽でも何でもない。どちらかと言えば会社の成長スピードとしては遅い方だと思います。でも、この妻となら、きっとさらなる高みに成長できると信じています。僕らBPGLOBALは、技術とメンタル。努力と感謝。二人三脚で、毎日入庫してくる輸入車の鈑金修理と戦っているのです。これからも、夫婦ふたりで、この川崎の地で板金修理と格闘していきます。よろしくお願いいたします。